レシピを掲載いただきました【VOX SPICE 】
VOX SPICE さんのオフィシャルサイトにて、私のおうちごはんレシピvol.2 を掲載いただきました。
今回は大好きなゴボウです。
サクッとしたフライの中身はジューシーなゴボウ…。
甘辛く味付けしたゴボウと、香り立つスパイスがマッチして美味です。
私はお酒はほとんどいただきませんが、
おつまみにも良いと思います。
ぜひお試し下さいませ。
スパイシー “ゴボウ” フライ|VOXSPICE オーガニックスパイス・ハーブ 通販 卸売
準備できることは、何もないかもしれないけど
年末年始にかけて、少しゆっくりできたのでこちらを読みました。
ジョーン・ディディオンはアメリカの作家で、60年代のカウンタ
『悲しみにある者』は、彼女が最愛の夫を亡くしてからの一年を、
誰かを感動させようとか、
彼女が夫を突然亡くしたその日は、
この本の中で、何度も
「それは夕食の席でもやってくるではないか」
というような言葉でジョーンが表現しているように、
そして、必ず誰にでも、いつかはやってくる。
証言のような言葉の数々に触れていても尚、その痛み、
どんなに準備をしようとも、覚悟を決めようとも、
40代に入り、自分の両親も70代を迎え、
どんな一日も、二度とない一日。だからこそ、今日、いま、ここをより大切に感じるようになってきました。
歳を重ねて、
お肌が何度も曲がり角を迎えて忙しいとか、
何もしてないとお肉が知らぬ間にまとわりつくとか、
切ないことはあるにはあるけど、
それでも、あちこちぶつかりながら経験を重ねて、
面倒な自我肥大のタームも終え、
シンプルに今を大切にできるようになってきたことは幸せなことだと思っていま
ヨガの哲学にサントーシャというものがあります。
日本語で言えば、「足るを知る」。
欠けているものを探すのではなく、
今自分の中にあるもので充分満たされていることに気づいていく、
そう簡単に、毎日この状態でいられかと言うと、
→まだ起こってもないことを勝手に心配する、
というサイクルからは解放されつつあるのかな、と最近感じます。
今、ここ、を味わうこと。
大切にすること。
人生一回ですから。
大きな悲しみに備えることはできなさそうですし。
そういえば、インスタでジョーン・ディディオンの#を見ていたら
ジョーン・ディディオン、若い頃も老いてからも、
アイコニックだなぁ、
私のファースト・ディディオンはこの『悲しにみある者』なので、これから遡って『ベツレヘムに向け、身を屈めて』
大きく社会・価値観がうねっている時代の記録って、とてもそそられるのです。
(ちなみに絶版なのか、
手放すこと、浄化の涙
先日のヨガのレッスンでのこと。
その日は当日キャンセルが重なって、
一人の生徒さんと私、マンツーマンになりました。
クラスの終盤では
シャバアーサナ(屍のポーズ)中に照明をすべて落とし、
キャンドルの炎だけの暗がりで最後に数分間の瞑想をします。
瞑想が終わってお互いにナマステの挨拶をしてクラスを終えるときに、
その生徒さんがポロポロと涙をこぼしていました。
「今日は本当にこの時間が必要だったんだと思う。」
小さな灯火だけが揺れる暗がりの中で
私はただ彼女のその言葉を静かに聴いて、目を閉じました。
何かを失った直後の悲しみの中にある人も、
愛に溢れたあたたかな毎日を過ごす人も、
誰かに傷つけられて磨り減っている人も
迷っている人も、不安な人も、
それぞれがたくさんのものを抱えて、
誰かや何かのために
知らず知らずのうちに
自分のことを置き去りにしてしまうこともあるでしょう。
少しの間、たった1時間でも思考や思案を手放して
自分のことにだけ集中すると、
すうっと力みが抜けることがあります。
彼女から溢れ出ていたのは
そんな涙だったのではないかな、と思います。
つい、あれこれと自分分析をしてしまいがちだけど、
心穏やかな明日のために、たまには
そんなふうに一人になって手放すことかも必要かもしれません。
泣くことには、笑うことと同じくらい
リラックス効果があるんですって。
私は泣き上戸だから、案外リラックスの達人なのかもしれないです。
みんな、一生懸命生きている。
私も、あなたも、私の苦手な人も、あなたの苦手な人も。
Azure Yoga@三軒茶屋32016 Vol.2
こちらもだいぶ時間が経ってしまいましたが
2ヶ月に1回のサイクルで主催しているヨガクラス、Azure Yogaを1月5日に開催いたしました。お正月休み中にもかかわらず、お越しいただきありがとうございました。
三茶の雑居ビルにあるバー32016の畳スペースを使わせていただいているこの企画、高速や三角地帯を不思議な角度から眺める感じが、なんだか日常から少しだけ外へ出たような気持ちになり、とても気に入っています。
そんな空間で静かに行うヨガも気持ちが良いですよ。
シャバーサナも最高です。
次回は3月開催、ご興味のある方はインスタのDMにてご連絡くださいませ。
VOX SPICE のオフィシャルサイトでレシピ連載始まりました
すっかり年が明けてしまって久しぶりの更新です。
今年の御節はこんな感じでした。
今月から、オーガニックスパイスのVOX SPICEさんのオフィシャルサイトで
私のおうちごはんレシピを連載いただいています。
タイトル通り、オーガニックスパイスを使った誰でも簡単にできるランチや晩御飯レシピをご紹介していきます。
お野菜やお肉などの食材選びと同じくらい実は調味料選びが重要だと思っています。
スパイスだけでなく、油(←大事!私はヘキサン抽出のものは使いません! もちろんマーガリンも)やお味噌、お醤油、お塩。。。、どんなふうに加工されたものか、原料の栽培方法など、毎日使うものだからこそ気をつけたいものです。
調味料の質によって、味はもちろん栄養にも大きな差があります。
毎日の食事、私としては一番大事にしているのは美味しく楽しんでいただくこと。
そのためにも、食材や調味料も納得できるものを選びたいですね。^^
あなたと食べて、生きていく
少し前に、はりきって<鍵なし>のインスタアカウントを開けてみました。
instagram ID: nakamura.azumi
↑食べてばかりですがよろしければ^^
当初はライターなりの美容や健康面での雑感、ヨガにまつわることを自分なりに投稿していくつもりでいましたが、結局蓋を開けてみれば日々の食いしん坊日記となってしまっている次第。。。若干そうなる気はしていましたけど。仕事としてものを書くときは、はっきりと対象と目的があるので少しの迷いもありませんが、いざ、個人として発言を露出しようとすると、大海原を前にたじろいでしまうようです。(敬愛するジェーン・スー氏の表現をお借りするならば、「自我と相撲を取っている」状態)
もう少し慣れてきたら、食以外の投稿もしたりするかもしれません。^^
ここから先は別の場所でも書いたことがある内容ですが、私なりの「食」についての雑感です。
ここに私の好きな本があります。
特に、筒井ともみさんの「舌の記憶」という作品が好きで、出会ってからおそらく7〜8年は経っていると思いますが、今まで数え切れないほど繰り返し読んできました。
(江國香織さんがご自身のエッセイで紹介していたのが、この本を知ったきっかけです。)
著者の筒井さんの幼い頃の思い出、お母さんが作ってくれた様々な食べ物にまつわることを、思い出のエピソードとして綴ったエッセイ集です。(武田百合子さんの「ことばの食卓」も素晴らしい。)
料理が食卓に並ぶまでの、細々とした下準備のこと。食卓を囲む家族に関する、子供ならではの(でも、とても鋭い)洞察。旬の食材を使った、季節を感じる献立の数々。
大根の早漬けと煮凍り、鉄釜で炊いたご飯の朝食。
小豆を厚鍋で炊き、餡を練り上げて作る「おはぎ」。
特別な日の茶碗蒸しや、庭で摘んだミョウガを入れる水とん、などなど。
まだ物が圧倒的に少なかった時代の、手間暇かけた下ごしらえや、美味しくいただくための心配り。幼い頃のエピソードなのに、鮮明に繊細に描かれていることから、食の記憶とは深く刻まれるものなのだと、しみじみ感じます。
日々何かに追われているような気持ちになってしまう時、この本を手に取ると、
「時間がないのではなくて、時間を作っていないのかな」と、立ち止まることができます。
さて、我が家は夫と二人暮らしです。
仕事が忙しく、帰宅が0時を過ぎることが多い夫のために食事を準備して、私は先に寝てしまうことが多いのですが、
「疲れて帰ってきた夫を、ゴハンよ、私の代わりに癒しておくれ」と念じながら毎日料理をしています。時に煮魚、時に生姜焼き、時にお浸しや酢の物、(時に昨日の残りのカレー)がせっせと夫の疲れを癒しているはず。(と信じています。)
疲れていたりするとサボってしまう時もありますし、美味しいお店で食事をすることも大好きなので、毎日きっちりと料理をしているというわけでもありませんが、やはり、疲れて帰ってきた夫が柔らかな表情で晩御飯を食べてくれる、その様子を見るにつけ、明日も美味しいものを作ろうという気持ちになるのです。
そして、そういう幸せな気持ちになるたびに、心のどこかがチクっと痛みもします。
きっと母もこんな気持ちで私たちにお弁当や夕食を作ってくれていたのだな、と。
高校生の頃、アホみたいなダイエットをして(りんごばっかり食べるとか)、平気でお弁当を残してきたり、カロリーの高いメニューだと文句を言ってみたり。。思い出すと馬鹿みたいで、本当に胸が痛むのです。ママごめんね。(もちろん、今は帰省のたびにここぞとばかり、残さず母の味を堪能します。)
You are what you eat.
あなたは あなたの食べているもので できている
文字通り、栄養面でもそうですが、
きっと、料理をする人の気持ちもあなたを支えている
私はそう思います。
最後に
美味しいゴハンで私を育ててくれた最愛の母と、
きれいに残さず、楽しそうに食事をする男(笑)を育て上げた主人の母に、心からの感謝を。
ヨギーじゃないのにヨガ的な男の件
夫の話題ばかりでなんなのですが…、一番近い観察対象なので。
私はもともとが、あまり大らかに物事に対峙できるタイプではなく、若い時は本当に自分が面倒だなーと感じることが多かったのです。よく母にも、「あなたは気がつき過ぎる、考え過ぎてしまうところがある」(気が廻るとか、気配りができるとかの意味ではない)と言われてきました。
そんな私にとって、ヨガと夫の存在が時折同義になるのです。
ヨガの哲学は、稚拙な私のブログでさらっと語れることではありませんが、基本的には内省して本質を見極めること、人と自分を比べることなく、また、外的なものに振り回されずに心が穏やかであることを目指します。(←ほんの一部をかなり大雑把に要約)アーサナをとりながら、この考えがすっと馴染んでくると心が静まってきて、幸せな気持ちになります。
そして、そのヨガと夫の件なのですが…。
時々、買い忘れたものを仕事帰りの夫にお願いしたりします。例えば、食器洗い洗剤だったり、ネギだったり、ミネラルウォーターだったり。そして我が夫は毎回、その私が頼んだものを手に握りしめて堂々たる感じで帰宅します。スーパーの袋やエコバッグに入れるわけでもなく、自分のカバンに入れるということもなく、手に直に、直にネギの束、直に醤油瓶、みたいな感じで歩いて帰って来るのです。
最初は、ちょっと恥ずかしくないのかな、とか気になっていたのですが、(男性ってそうなのでしょうか?でもそういう人、私は42年間で一度も見かけたことがないので)最近はその堂々たる姿を見るのが楽しみで、誇らしく感じるようになってきました。w
こんなこともありました。結婚してすぐの頃だったと思います。当時フルの社員で仕事をしていた私は、職場にお弁当を持参していました。その日もいつも通り、夫より早く家を出たのですが、途中でお弁当を忘れたことに気がつき、すぐに電話して夫に近くまで持ってきてもらうことに。私も家の方角にいったん引き返して歩いていたところ、前方からお弁当袋を持って全力で走ってくる夫を発見。着替え途中だったらしく、スーツのパンツに薄〜い肌着、足元はツッカケサンダルで全力で走る中年男性。そしてお弁当袋を手渡すと、いつものように堂々たる感じで環七を渡って引き返して行きました。ちなみに、私の母はこのエピソードが大好物です。
おそらくですが、夫にとって、目的の遂行以外はどうでも良いことなのだと思います。(目的達成のためなら何でもありという文脈ではなく)随分と大げさな話にしていまってますが、本当に大切なこと以外は全く気にならない、人がどう見るとかどう思うとか。彼にとって本質以外は些末なことなのだと思います。デフォルトでそうゆう行動が備わっているのでしょう。実にヨガ的。ヨギーじゃないのに。
このようにして、私の日常はヨガと夫に支えてもらっております。
毎日色々なことが起きる、自分と考えの違う人もいる。でも、それらが自分を損なうことなんてほとんどないのかも知れない。大切なものが分かっていれば大丈夫。^^