息子、一歳に
息子よ、1歳のお誕生日おめでとう
母である私
やることがあっちこちにあって
なんかやりながら、次やることを考えていて
合間合間にギャンギャンあなたが泣くことも
なんか片付けながら、部屋の中を歩いていて
あれ、どこに向かってたんだっけ?
ってくらいバタバタする日もあって
基本的にマルチタスクが苦手な私は
時々故障する、故障すると泣く
今日、こんなに嬉しい日に
なかなかお昼寝できなかったあなたが
盛大にぐずったあと
夕方になって眠ってしまった時
その寝顔をみながら
また故障した
あー、疲れたなぁ
というボヤキと
寝顔が愛しくてたまらないのと
こんなに特別な日に
泣いてる自分の情けなさと
ふと窓の外をみたら
冬の夕方が美しいのと
心の中ごちゃごちゃ
更に一年前のお産の記憶
それはそれは素晴らしいあの時間
いろんなものが入り混じって
45歳、また泣いた
息子よ
人間こんな時もあるのよ
マイナスもプラスも
ポジもネガも
ごちゃまぜなのが人生なの
だから楽しくて笑えるの
いつも思う
前にも書いてるかもだけど
どんなふうになってもいいよ
人と違ったっていいし
人と同じだっていいよ
夢を追いかけてもいいし
夢なんか見つからなくてもいいよ
好きなことを仕事にしてもいいけど
好きなことが仕事じゃなくても全然いい
友達たくさんいても楽しいけど
少なくても、ひとりもいなくても
なんか楽しく生きられればいいよ
いろんなことがごちゃまぜの人生を
泣いたり怒ったりもしながら
丸ごと楽しんでいこうね
これまでも楽しかったけど
あなたが生まれてからの毎日も
最高に笑えるよ
いつも父さんと笑ってるよ
母さんはたまに故障するけどね
一歳のお誕生日おめでとう
生後9ヶ月 愛おしむ人が愛おしい
先日夫に息子を託して外出した時のこと。数時間留守にして帰宅すると、男同士わちゃわちゃ楽しそうにしていてほっとした。
その夜、息子を寝かした後にソファーでくつろいでいると夫が目を細めてこう言った。
「昼間さぁ、〇〇(息子の名前)と2人の時。しばらく動画見せたりしてほっといておいちゃったの。そしたらさ、気づいたら一生懸命ひとりで遊んでるわけ。なんかケナゲでさぁ、かわいくて、俺泣きそうになっちゃったよ。」
わかる。ずーっとつきっきりなことに疲れてちょっとテレビ見せたままにしちゃったりして、気がつくとけっこう時間が経っていて、テレビに飽きた息子が部屋のすみっこの方でおもちゃを振り回したり、絵本にかぶりついたり…。とたんに罪悪感にかられて、ごめーん!と息子に駆け寄るのだ。
こういうの、子どもに対して当たり前の感情なんだろうし、親としてあるあるなのかなって思うけど、その言葉を夫から聞いたとたん、嬉しくて今度は私が泣きそうになってしまった。
優しい人だ。どんな優しさかというと、繊細で細やかなそれではない。どーんとおおらかで、強くて逞しい。その夫が、前述のような目線で息子と過ごして、きっとあわてて抱き上げてあげたんだろうな、と思うと鼻の奥の方がきゅーんとなった。
息子という家族が増えてから、今までに見たことないくらいに優しい目をして笑う夫に何度も出会った。
もしも夫婦2人きりのままだったとしても、私達は引き続き大人2人の生活を目一杯楽しんだと思う。これまでそうしてきたように。だけど、授かった。40代半ばでふいに授かった宝物。信じられないくらい愛おしい。そして、息子が加わったことで、お互いの、今まで知らなかった表情を発見したりするのもけっこう楽しい。
妊娠が発覚したばかりの頃、待ち受けている世界があまりにも未知で、これまでの自由な生活が失われてしまうのでは、と不安に思ったことがある。(ごめんよ、息子)でも今は、3人でやってみたいことや行ってみたいところがいっぱいありすぎてワクワクしている。
息子が思春期真っ只中の頃、私達は還暦を迎えるわけだけど、元気でポップなシクスティーズでいたいものだ。だからやっぱり、夫婦共々体も心も健康第一。
公開し忘れ→かなりのディレイ投稿→生後6ヶ月 夏の夜のひとり歩き
(久しぶりにブログでも書こうかな、と思ったら2ヶ月前に書いて保存したままの原稿を発見。せっかくなので公開します。ちなみに現在息子は生後8ヶ月です。もうすぐ9ヶ月。)
6月で生後半年を迎えた息子。大きなトラブルもなく、すくすくと順調に育っている。表情はますます豊かになり、遅めだったのでちょっとだけ心配していた寝返りもできるようになったし、離乳食もスタートしてから早くも1ヶ月が経過した。こちらを見つめながらトロトロしたものを食べている姿に、高齢父母のハートはつかまれっぱなしだ。
日曜の夜。久しぶりにアロママッサージを受けに行く。最近疲れ気味な私を心配して夫がすすめてくれたので、自宅から歩いて15分のサロンに90分のコースで予約を入れた。20時からの予約だったので、19時40分くらいに家を出る。もちろん、それまでには夕食作り、息子のお風呂から寝かしつけまで全て夫と二人で済ませ、万全の状態で。
「じゃあ行ってくるね」6月の終わり、梅雨の最中の夜にしては心地の良い風が肌を撫でる。夜風に吹かれながら、なんだか心がソワソワする。なぜだ、なんだこの感じは。行き交う車のヘッドライトや街頭、信号機がキラキラと夜の空気に揺れていて、なんだか近所が美しいような気がする。
あれだ、つまり、旅情に似ている、この気持ち。しかも一人旅の旅情。
2013年の初夏、一人でフランスを旅した。海外への一人旅は20代でハマって何回も通ったサンフランシスコ以来。メインの目的はフランス人のパートナーと結婚することになった友人の、まさにその結婚式に参加するためだったが、それ以外の時間は一人でパリの街を散策したり、ショッピングしたり、美術館に行ったりして過ごした。確か最後の日になって、「あ、夜のパリを歩きたいな」と思い、地下鉄で移動しながらシャンゼリゼ通りを歩いたり、エッフェル塔がチカチカするのを間近で眺めたりした。夜のパリは美しかった。なんていうか、引き締まった感じ。胸がきゅっと締め付けられるような感じに「あ、きた、旅情」などと思ってため息まじりに黙々と美しい街を歩いたり、立ち止まったりした。
歩きながら、旅情の正体について考えを巡らせていたのを覚えている。こう思った。旅は非日常のようでいて、実は日常のちょっとだけ外側にある。て言うか、思い切った現実逃避よりも、それくらいの心持ちの旅が好きだ。一番旅情が迫ってくる。日常の少しだけ外側だからこそ「ひとり」を感じられる。住んだことのない街、世界中から集まる旅人(家族連れやバッグパッカー、恋人たち)の中にポツンといる自分。目の前の信じられないほど美しい街並みとも、明日にはお別れだ。日常に戻るために。
儚い一瞬の出来事。だから美しく、切なく、名残惜しい。日常あってこその輝きだ。
断然そう思うし、断然その感じが尊い。旅情。
その旅情を今夜感じた。家から15分のマッサージ屋までの道中で。それもそのはず、一人で夜の街を歩くのなんて最後がいつだったかさえ思い出せない。少なくとも、妊娠中は一度もないので1年以上は確実に経っているはず。とすれば、最後に一人で夜の街を歩いた時と今では、生活のすべてが変わっている。旅情を感じてしまうわけだ。今、家から数分の近所で、私は日常の少し外側を歩いているんだ。息子のいない、夫のいない時間。
やがてそこに帰ることは決まっている、その感じが旅情っぽい。
もう海外への一人旅はこの先できないかもしれないけど、こんな旅情も、なかなかどうして、悪くない。
★クリパルヨガ教師達によるリレー動画★
間も無く生後4ヶ月 未曾有の事態にも、赤ちゃんは微笑み続ける
はじまりに、今日の独り言はほんとに独り言だ。いつもに増して独り言。誰かに寄り添える類のものではない。あまりにも、混乱している世の中で、状況も想いも人それぞれだから。
4月。始まりの季節。(何となくですます調に飽きたので、文体を変えてみたりして。)
以前に何かに書いた記憶があるけど、本来春は苦手。満開の桜は凄みがあるけど、同時に儚すぎて胸がいっぱいになってしまう。よーいどんで足並みを揃え、何かが一斉に始まる雰囲気も、かなり大人になるまでずっと好きじゃなかった。
去年の今頃は、勤務先に相談して仕事の量を調整させてもらい、フリーで受けていた仕事も減らし、かねてより熱望していたクリパルヨガのティーチャートレーニングに通い始めた。まさか1年後に母親になっているなんて、夢にも思っていなかった。今これを書いている私の横には、生後120日目の元気な男の子がいて、見つけたばかりの自分の右手を、飽きもせず入念にチェックしている。(#ハンドリガード)
夢にも思っていなかったことは他にもある。そう、今現在世界中に蔓延している感染症のことだ。国も自治体も個人も、誰も2020年がこうなるとは想定していなかった。準備していなかった、未曾有の事態だ。敵は目に見えない。
インスタにも書いたけど、春先にはまだこんなことを思ったりしていた。↓
12月に生まれた我が子、お宮参りはあたたかい季節まで先送りかな。4月になったら義母と一緒にお参りしよう。その前に、1週間くらい静岡の実家に帰省しよう。かわいい盛りの初孫にメロメロになってくれるだろう。我々夫婦のガラではないけど、写真スタジオに記念写真でも撮りに行こうかな。結構楽しいかも。夏くらいには少し遠出して3人で旅行に行けるかな。(←実は実際に飛行機のチケットも予約してあった。キャンセルしたけど。)
両親も義母も70歳を超えているのでハイリスクだ。大切だからこそ今は会えない、ていうか、いつまで会えないのだろう。。。 旅行も当面は無理だろう。
でも、そのどれもが、元気でいれさえすればいつかは叶えられるだろう。こうなった今、家族が健康に毎日を過ごせていることが何よりもありがたい。うちは夫の会社がリモートワークを元々推奨していることもあり、働き方はスムーズに切り替えられた。私はそもそも育休中だ。平日も週末も家族が揃っている状態で、0歳児の母としては、夫がいてくれるという事実だけを切り取れば、平和な毎日だ。
毎朝目が覚めると隣に我が子の寝顔があり、小さな寝息が聞こえ、小さなお腹が上下している。赤ちゃんにしては長い睫毛が、カーテン越しに差し込む朝日に照らされてキラキラしている。反対側では、夫が寝ている。
嗚呼、今外の世界で起きていることが、全て悪い夢だったら良いのに。
毎朝そう思って胸が苦しくなる。でも、残念ながら夢じゃない、実際に起きていることだ。
生後120日を迎えた我が子。
最近ではだいぶ首が持ち上がるようになった。目を合わせるとニッコリ笑ってくれる。盛んに喃語を発するようになってきて、気分が乗ると「あーあー」とか「いーいー」とかずーっと喋っている。感染した0歳児が重症化したというニュースが出てからは、家の外に連れ出すのも怖くなってしまったので、最近はベランダで日光浴をさせている。いつもは抱っこ紐だったけど、今日はベビーカーを出した。日よけもあるし、ちょうど良いかも。
コーヒーを持ち出して息子の向かい側に腰掛けた時、午後の陽が肌に暑く感じて、日焼け止めを塗っていないことに気がついた。いつの間にかそんな季節だ。部屋にこもっている間にも、時間は、季節は移ろっていく。生まれて初めて迎える春に、家から出してあげられない。またしても、胸が痛む。
それでも、今ある幸せは享受して良いのだと思う。長い人生の中の、2度と巡りこない1日だ。食材もいつも通り買える、だから美味しくご飯を食べる。普段は帰りの遅い夫と夕食を一緒にできることはあまりないが、今は毎日一緒にできたてのご飯を食べられる。食後のお茶もゆっくり飲める。
いつか息子に、あなたが生まれて最初に迎えた春はこんなことが起きていた、と話せる日が来るだろう。その時、世の中がどんな風になっているかは分からない。一般常識も、個々の価値観も、かなり今とは違っているかもしれない。きっと元どおりには戻らないような気がしている。私たちは、受け入れたり、学習したりして、前に進むしかない。変わってほしいと強く願うことはきっちり記憶しておいて、選挙で意思表示しよう。
できることなら、優しく温かい未来であってほしい。
世界に襲いかかっている未曾有の事態。置かれている状況、苦しいこと、気がついたこと、綺麗事では済まされないという憤りや怒り悲しみもあるだろう。人の数だけ、心に思うことは異なって然りだ。
だからここに書いたことは、私の覚書で何かの役に立つわけでもない。でももし、同じような毎日を繰り返している、同じような状況の人が目にしてくれたら、少しだけ仲間意識を持ってくれて、ウンウンとうなづいてもらえたらと思う。
そして、医療現場や生活必需品に関わる方々には感謝してもしきれない。リモートワークができないお仕事の方々、どうかご安全でありますように。
もう4月も半ばだ。
桜の後は、大好きな新緑の季節がやってくる。
生後2ヶ月 お産を振り返って思うこと
息子を産んでから2ヶ月が経ちました。
出産のことを書き留めておこうと毎日のように思ってはいたものの、あまりにも大切な記憶過ぎて上手く書ける自信がなく、ずるずると2ヶ月経ってしまいました。結局、今も今後も上手く書けることはないと思うので、格好つけず思うままに書き残しておこうと思います。多分長くなります。
ちょろっと破水からの入院
昨年の12月の土曜日、39週と1日目。主人と散歩がてら近所のカフェにランチに行った帰り道でチョロチョロと水が出ているような感覚が。ん?と思い、家について産院に電話すると、破水の可能性があるので念のため入院の準備をして来てくださいと言われ、早速主人と病院へ。
産院についてすぐに調べてもらうと、やはり破水しているとのことでそのまま入院になりました。ちなみに高位破水というらしく、少量ずつではあるものの破水には違いないため、感染症リスクを避けるために促進剤で陣痛を早めることに。翌朝から促進剤投与が始まりましたが本陣痛には繋がらず、夕方には投与を終了し夫は帰宅。次の日の朝、医師による診察を終えてから早朝のうちに分娩室に移動し、再び投与を再開しました。その頃に再び夫も登場。
あぐらで呼吸法→いきみ逃し
確か8時前から点滴は始めていたと思いますが、張りの間隔が狭まって内側からの圧を強く感じ始めたのが10時過ぎくらい。主人や助産師さんとおしゃべりをしつつ、張りがきたら息をゆっくり吐いて体を緩める、これをひたすら繰り返しました。呼吸を意識的に繰り返すにあたり、私はあぐらの姿勢がとても楽だったので、赤子が産まれるギリギリになって助産師さんに「そろそろ体勢変えましょうか? ^^;」と言われるまで、ひたすらあぐらで呼吸法を繰り返していました。ちなみに、陣痛の波の合間でしっかり残さずお昼ご飯も食べ、助産師さんに「お見事!」と言われました。
NSTの数値がかなり高くなっても変わらず静かに呼吸法を繰り返していたので、助産師さんに「中村さん、痛みに強い方?」と聞かれたのを覚えています。繰り返し寄せては引く内側からの圧を、あまり「痛み」として受け取っていなかったような気はします。
午後1時半とか2時くらいに医師による診察があり、その時点で確か子宮口は7-8cmと言われました。診察が終わりしばらくはあぐらで呼吸法を続けていましたが、前述のように助産師さんに声をかけてもらい自分の判断で体勢をシムス体位に変更。なにしろ、ここからが速かったです。^^
段々とおしゃべりする余裕はなくなり、夫に手を握ってもらい、呼吸が滞りそうになるとやはり夫に「はい、ゆっくり吐いて」と声をかけてもらっていました。
一呼吸ごとに、その時が近づいている感じ、子供が外に出ようとしている生命力、自然のパワーを感じました。必死だったけど、同時にとても感動していたのを覚えています。内側からの勢いが増してきて「うわぁー、この感覚は今までに経験がないなぁ」とぼんやり思っていましたが、あまり「痛い」とか「苦しい」とかは思いませんでした。そうゆう言葉を口にすることも、泣き叫ぶようなことも最後まで一度もなかったです。
目を閉じて呼吸とともにいきみを逃し続け、途中からはバタバタと人の出入りがあったり、お産の準備が始まっている感じや医師が分娩室に入ってきた様子が伝わってきました。夫曰く、途中から一気に進行したので、若干準備が間に合ってない感すらあったとか。w
そして、誕生(^^)
最終的に、「嗚呼、もう赤ちゃんすごい勢いで出ようとしてるなぁ」と感じたところからは体の声に任せていきみはじめました。数回いきんで意識が少し朦朧とする中で、じわじわと自分の目から涙が流れ落ちてることに気がつきました。
そして、「赤ちゃん少しつかえちゃっているので、最後仰向けになれますか?」と言われ、体勢を変えてからおそらく2回目くらいのいきみで、「もう産もう、産まれる」と感じ…
「オギャーーーーーー!!」
目を開けると、髪の毛ボーボーの真っ赤な我が子が持ち上げられているところが見え、その瞬間、
「信じられないくらい、かわいい!!」
と思いました。
そして、すぐに振り向くと夫が目を真っ赤にして泣いていました。
テンションが高い状態のまま、あっという間に胎盤を出したり、後処置やら何やらが終わり、茹でたてのような真っ赤な我が子が私の胸にやってきました。夫と一緒に、「ようこそ、ようこそ」と声をかけたような気がします。
結果的に、トータル5時間半くらい、産む!となってからは1時間くらいだったと思いますが、初産にしてはかなりスピーディーな安産となりました。
あれから2ヶ月が経ちました。産後の経過も良好で、元気に過ごしています。息子は母乳ですくすく育ち、すっかりまん丸になりました。よく寝る子です。
経験談に惑わされすぎない
振り返って、よく思うことがあります。
それは、出産には正解はない、あるいは、正解は出産の数だけあるということです。だから、まぁ、このブログも含めてですが(^^)、あまり誰かの経験談や指南を信じすぎるのもどうかな、と思います。
私はできるだけお産の経験を味わいたいと思っていたし、子供も自分も必要以上に苦しまずにその時間を過ごしたいと思っていました。それには呼吸法が役に立つであろうことは、ヨガの経験からイメージできていたので、ガスケアプローチやソフロロジーの本を読んだり、教室にも行ってみました。自宅では出産のイメトレもしていました。とにかく、お産を怖がらずに、「私が自分で自分の体を使い、意志的に産むのだ」ということは強く思っていました。
本を読んだり呼吸法の話をすると、「そんなのは、いざ産む段階になったら全部飛んでっちゃうよ。それぐらいお産は壮絶なの」といって笑われてしまうことも何度かありました。その度に私は「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」と心の中でつぶやいていました。そして結果的に、全然飛んでいかなかったし、呼吸法のおかげで体を徐々に緩めて子供が出てくる準備ができたし、その感じを最後まで味わうこともできました。痛みや辛さよりも、喜びに圧倒された時間でした。
それと、助産師さんの存在。自分が子供を産むにあたって、リードしてくれるその道のプロであり、一緒に頑張ってくれる人。自分と子供の命に関わる人。なので、お産が始まる前にできるだけ信頼関係を築いておきたいと思っていました。当日の朝に担当の方が分かるので短い時間でしたけど、分娩室ではできるだけコミュニケーションをとり、リラックスしていられるように積極的に関わるようにしました。(本当に素晴らしい助産師さんでした!)
実際に身体を使って産むのは自分
専門家ではないので偉そうなことは言えませんが、「お産に向けての心の準備もお勉強も、何も無駄にはならない」というのが私個人の体験です。もし、痛みが壮絶でせっかく練習したのに呼吸をうまくコントロールできなかったり、急遽医療介入が必要になったとしても、絶対良い形で出産に影響すると思います。精神的な余裕にもつながるかもしれないです。
妊娠出産に限らず、体で起こっていることに耳を傾けて、自分の体を意思的に使うということは、身体面でも精神面でも健康への近道だと思っています。だからヨガが好きなんです。どこかが悪くなってから対処してくれるのが西洋医学だとして、なるべく悪くならないように体を作るのは自分自身だと思います。
ダラダラと、とりとめもなく長くなりました…。
本当に、お産の経験よかったです。怖くないです。
素晴らしく感動的でした!
(やっぱり上手く書けなかったけど)
ではまた。
生後1ヶ月と12日 母の背中スイッチ
こんなにも愛おしい存在ができてしまったこと。その切なくて危うくて、どうしようもなく幸せな気持ち。
同時に、今は少しも目が離せず、2人きりで長い時間閉じこもっていることの疲れとストレス。きれいごとではなく、そういう感情だって沸く時もある。
そして、
この相反する二つの感情が、自分の中に生まれることの不安や罪悪感。
時々、授乳している最中や、そのあとなかなか寝付かずに泣く我が子をあやしている時、自分も一緒に泣いてしまうのは、
そういった不安定でもやもやしたものが、
我が子の泣き声をきっかけに溢れ出てしまうからかもしれない。
それでも、
夜更けに授乳する私の背中を撫でてくれる夫の手のあたたかさ、3人だけの静かで親密な時間、
目覚めると小さくて丸くてふわふわな頰がすぐ隣にある朝の優しさ、
眠さも、腰や腕や首の痛みも、拠り所のない不安も、全てを包み込む尊い光をいつも感じている。
ホルモンの影響もありつつ、産後すぐの新米母が泣く理由はいろいろだけど、私はそんな感じ。
お母さんには、背中じゃなくてハートの中にスイッチがあるんだよ。
泣いた数だけきっとタフになっていくんだ、あなたを守る強い母になるために。