あおいろ自由帳

ライター / ヨガ教師 中村亜津美(あずみ)

生後2ヶ月 お産を振り返って思うこと

 

息子を産んでから2ヶ月が経ちました。

 

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出産のことを書き留めておこうと毎日のように思ってはいたものの、あまりにも大切な記憶過ぎて上手く書ける自信がなく、ずるずると2ヶ月経ってしまいました。結局、今も今後も上手く書けることはないと思うので、格好つけず思うままに書き残しておこうと思います。多分長くなります。 

 

ちょろっと破水からの入院

昨年の12月の土曜日、39週と1日目。主人と散歩がてら近所のカフェにランチに行った帰り道でチョロチョロと水が出ているような感覚が。ん?と思い、家について産院に電話すると、破水の可能性があるので念のため入院の準備をして来てくださいと言われ、早速主人と病院へ。

 

産院についてすぐに調べてもらうと、やはり破水しているとのことでそのまま入院になりました。ちなみに高位破水というらしく、少量ずつではあるものの破水には違いないため、感染症リスクを避けるために促進剤で陣痛を早めることに。翌朝から促進剤投与が始まりましたが本陣痛には繋がらず、夕方には投与を終了し夫は帰宅。次の日の朝、医師による診察を終えてから早朝のうちに分娩室に移動し、再び投与を再開しました。その頃に再び夫も登場。

 

あぐらで呼吸法→いきみ逃し

確か8時前から点滴は始めていたと思いますが、張りの間隔が狭まって内側からの圧を強く感じ始めたのが10時過ぎくらい。主人や助産師さんとおしゃべりをしつつ、張りがきたら息をゆっくり吐いて体を緩める、これをひたすら繰り返しました。呼吸を意識的に繰り返すにあたり、私はあぐらの姿勢がとても楽だったので、赤子が産まれるギリギリになって助産師さんに「そろそろ体勢変えましょうか? ^^;」と言われるまで、ひたすらあぐらで呼吸法を繰り返していました。ちなみに、陣痛の波の合間でしっかり残さずお昼ご飯も食べ、助産師さんに「お見事!」と言われました。

 

 

NSTの数値がかなり高くなっても変わらず静かに呼吸法を繰り返していたので、助産師さんに「中村さん、痛みに強い方?」と聞かれたのを覚えています。繰り返し寄せては引く内側からの圧を、あまり「痛み」として受け取っていなかったような気はします。

 

午後1時半とか2時くらいに医師による診察があり、その時点で確か子宮口は7-8cmと言われました。診察が終わりしばらくはあぐらで呼吸法を続けていましたが、前述のように助産師さんに声をかけてもらい自分の判断で体勢をシムス体位に変更。なにしろ、ここからが速かったです。^^

 

段々とおしゃべりする余裕はなくなり、夫に手を握ってもらい、呼吸が滞りそうになるとやはり夫に「はい、ゆっくり吐いて」と声をかけてもらっていました。

 

一呼吸ごとに、その時が近づいている感じ、子供が外に出ようとしている生命力、自然のパワーを感じました。必死だったけど、同時にとても感動していたのを覚えています。内側からの勢いが増してきて「うわぁー、この感覚は今までに経験がないなぁ」とぼんやり思っていましたが、あまり「痛い」とか「苦しい」とかは思いませんでした。そうゆう言葉を口にすることも、泣き叫ぶようなことも最後まで一度もなかったです。

 

 

目を閉じて呼吸とともにいきみを逃し続け、途中からはバタバタと人の出入りがあったり、お産の準備が始まっている感じや医師が分娩室に入ってきた様子が伝わってきました。夫曰く、途中から一気に進行したので、若干準備が間に合ってない感すらあったとか。

 

そして、誕生(^^)

最終的に、「嗚呼、もう赤ちゃんすごい勢いで出ようとしてるなぁ」と感じたところからは体の声に任せていきみはじめました。数回いきんで意識が少し朦朧とする中で、じわじわと自分の目から涙が流れ落ちてることに気がつきました。

 

そして、「赤ちゃん少しつかえちゃっているので、最後仰向けになれますか?」と言われ、体勢を変えてからおそらく2回目くらいのいきみで、「もう産もう、産まれる」と感じ

 

「オギャーーーーーー!!」

 

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目を開けると、髪の毛ボーボーの真っ赤な我が子が持ち上げられているところが見え、その瞬間、

 

「信じられないくらい、かわいい!!」

 

と思いました。

そして、すぐに振り向くと夫が目を真っ赤にして泣いていました。

 

テンションが高い状態のまま、あっという間に胎盤を出したり、後処置やら何やらが終わり、茹でたてのような真っ赤な我が子が私の胸にやってきました。夫と一緒に、「ようこそ、ようこそ」と声をかけたような気がします。

 

 

結果的に、トータル5時間半くらい、産む!となってからは1時間くらいだったと思いますが、初産にしてはかなりスピーディーな安産となりました。

 

 

あれから2ヶ月が経ちました。産後の経過も良好で、元気に過ごしています。息子は母乳ですくすく育ち、すっかりまん丸になりました。よく寝る子です。

 

経験談に惑わされすぎない

振り返って、よく思うことがあります。

それは、出産には正解はない、あるいは、正解は出産の数だけあるということです。だから、まぁ、このブログも含めてですが(^^)、あまり誰かの経験談や指南を信じすぎるのもどうかな、と思います。

 

私はできるだけお産の経験を味わいたいと思っていたし、子供も自分も必要以上に苦しまずにその時間を過ごしたいと思っていました。それには呼吸法が役に立つであろうことは、ヨガの経験からイメージできていたので、ガスケアプローチやソフロロジーの本を読んだり、教室にも行ってみました。自宅では出産のイメトレもしていました。とにかく、お産を怖がらずに、「私が自分で自分の体を使い、意志的に産むのだ」ということは強く思っていました。

 

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本を読んだり呼吸法の話をすると、「そんなのは、いざ産む段階になったら全部飛んでっちゃうよ。それぐらいお産は壮絶なの」といって笑われてしまうことも何度かありました。その度に私は「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」と心の中でつぶやいていました。そして結果的に、全然飛んでいかなかったし、呼吸法のおかげで体を徐々に緩めて子供が出てくる準備ができたし、その感じを最後まで味わうこともできました。痛みや辛さよりも、喜びに圧倒された時間でした。

 

 

それと、助産師さんの存在。自分が子供を産むにあたって、リードしてくれるその道のプロであり、一緒に頑張ってくれる人。自分と子供の命に関わる人。なので、お産が始まる前にできるだけ信頼関係を築いておきたいと思っていました。当日の朝に担当の方が分かるので短い時間でしたけど、分娩室ではできるだけコミュニケーションをとり、リラックスしていられるように積極的に関わるようにしました。(本当に素晴らしい助産師さんでした!)

 

実際に身体を使って産むのは自分

専門家ではないので偉そうなことは言えませんが、「お産に向けての心の準備もお勉強も、何も無駄にはならない」というのが私個人の体験です。もし、痛みが壮絶でせっかく練習したのに呼吸をうまくコントロールできなかったり、急遽医療介入が必要になったとしても、絶対良い形で出産に影響すると思います。精神的な余裕にもつながるかもしれないです。

 

 

妊娠出産に限らず、体で起こっていることに耳を傾けて、自分の体を意思的に使うということは、身体面でも精神面でも健康への近道だと思っています。だからヨガが好きなんです。どこかが悪くなってから対処してくれるのが西洋医学だとして、なるべく悪くならないように体を作るのは自分自身だと思います。

 

 

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ダラダラと、とりとめもなく長くなりました…。

 

 

本当に、お産の経験よかったです。怖くないです。

素晴らしく感動的でした!

(やっぱり上手く書けなかったけど)

 

 

 

 

ではまた。

 

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生後1ヶ月と12日 母の背中スイッチ

 

こんなにも愛おしい存在ができてしまったこと。その切なくて危うくて、どうしようもなく幸せな気持ち。

 

同時に、今は少しも目が離せず、2人きりで長い時間閉じこもっていることの疲れとストレス。きれいごとではなく、そういう感情だって沸く時もある。


そして、

この相反する二つの感情が、自分の中に生まれることの不安や罪悪感。


時々、授乳している最中や、そのあとなかなか寝付かずに泣く我が子をあやしている時、自分も一緒に泣いてしまうのは、


そういった不安定でもやもやしたものが、

我が子の泣き声をきっかけに溢れ出てしまうからかもしれない。


それでも、


夜更けに授乳する私の背中を撫でてくれる夫の手のあたたかさ、3人だけの静かで親密な時間、


目覚めると小さくて丸くてふわふわな頰がすぐ隣にある朝の優しさ、


眠さも、腰や腕や首の痛みも、拠り所のない不安も、全てを包み込む尊い光をいつも感じている。


ホルモンの影響もありつつ、産後すぐの新米母が泣く理由はいろいろだけど、私はそんな感じ。


お母さんには、背中じゃなくてハートの中にスイッチがあるんだよ。


泣いた数だけきっとタフになっていくんだ、あなたを守る強い母になるために。

 

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生後1ヶ月と5日目の雑感

今日で小さい人が生まれてから1ヶ月と5日目。

 

外出の練習も兼ねて、午後の空いている時間に小さな人とスーパーへ。


まだ首も座らない人を抱っこ紐に抱き入れて、その小さな頭頂あたりに小声でであれこれ話しかけながら野菜や魚をカゴに入れる。


帰り道でふと自分が書いたブログ、というかそこに引用した川上未映子さんのエッセイを思い出して少しだけ涙がこぼれた。(前回のブログ)


生まれてまだ1ヶ月のあなたはもちろん今日のことなんて覚えてないでしょう。

 


ただ、2人でスーパーに行っただけの日。


でも私は覚えていたいと思ったのです。買い物帰りに一緒に浴びた冬の西陽のこと、冷たい風があなたにあたらないように、ぐっと小さなフードを目深に下ろしてあげたことを。

 

 

なかなかまとまった文章を書く時間が取れないから、しばらくは思いつくまま、こんな感じでその時々の気持ちを記録していこうと思います。インスタとあまり変わりばえしないけど…。

 

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妊娠37週目: 臨月に、44歳になりました。

 

本日、無事に?44歳になりました。

 

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今日は特に書きたいテーマがあるわけでもないので、誕生日記念につらつらとやりたいと思います。(^^)

 

前にもブログに書いたように、己が若い時分にも若いということがめんどくさかった私ですので、今まで歳を重ねることには抵抗を感じたことはありません。

ナチュラルエイジングケアに熱心なのは、若く見せたいっていうよりは、単にいくつになっても小綺麗でいたいなぁという女ゴゴロだったり、不自然な食べ物やら化粧品で病気やら体の老化劣化のリスクを高めたくないという観点からのことでございます。

そんな私が人生で初めて年齢を気にしまくった日々、それが今年の春から初夏にかけて。そう、妊娠発覚から安定期に入るまでの日々です。

今となっては、あの頃の私と同じように不安な日々を過ごす高齢妊婦さんの目に少しでも留まって欲しいという気持ちで、#超高齢妊婦 タグをSNSにもばんばんぶっこんでいますけど、あの時期は本当に、年齢に起因する妊娠出産のリスクに囚われて、今より1歳でも若かったらとか、子供が成人の時自分は何歳だとか、そんなことばかり考えて、鬱々としていました。(詳しくはこちらに


それからほんの数ヶ月ではありますが、中の人と一心同体で過ごし、夫と共に初めての妊娠生活に目を白黒させたり、時には泣いたり笑ったりしながらやりくりし、お腹に話しかけたりディアンジェロやらコモンやら、たまにウータンも聴かせたりして、そして今日、臨月にして44歳を迎えました。

結果的に、お産はこれから、つまり仕事の大部分はこれからですが、ここまで特にトラブルもなく順調にやってまいりました。


あ、妊娠糖尿病の検査の数値がわずかに1上回り(2時間後の測定で)、一瞬、なんでだ!っとイラっとしてしまいましたが(食事、結構気をつけてる方だという自負があったので^^;)、その後、病院から借りた測定器で数日測ってみて、血糖が下がりにくいパターンの食事と行動がすぐに分かり、以降ほぼコントロールできたので内科的にも経過観察となりました。

 

 

 

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血糖値を気にする、測定する、というのは初めての経験でしたが、とても興味深かったし、その時期、一気に3冊くらい血糖関係の本も読みまくって、結果的にとても勉強になって良かったです。将来のことを考えても糖尿病にならない生活を知っておくことはとても大事なので。←この件に関しては改めていつか書きたいと思います


話を戻して、44歳。人生折り返しであり、新しい命を身ごもっている、節目のタイミングでもあります。

実は、妊娠出産とは関係ない試練も個人的にふりかかっていて、そのことを考えだすと、昼間一人で家にいる時なんかは不安感に苛まれることもあります。だけど、そのたびに、お腹の人がムクムクと動きだすから、いつも泣きながら笑ってしまうのです。そうだよねぇ、まずはあなたと力を合わせて、出産をするのだよ、私。泣いてる場合ではなかった…。


人生はコントロールできないことの方が断然多いです。向かってくる波を受け入れて、だけど、その経験にどんな意味を持たせるのかは自分自身の仕事なんだと思う。


中の人、まだ出てきてもいないのに既に私に強さを与えてくれてありがとう。お母さんもお父さんも、おじいちゃんおばあちゃんたちも待ってるよ。お母さんやお父さんのお友達も応援してくれてるよ一心同体のこの時間が名残惜しい気もするけど、一緒に頑張ろう。お父さんも、テニスボールやうちわを準備して、一緒に頑張ってくれるって。笑


最後に、
川上未映子さんのエッセイ集から抜粋します。下記は、ちょうど昨晩お風呂で読んでいた部分。

(まあやっぱり、こうゆうの泣けてしまいます。)


朝。抱っこしたままでわたしの背中のほうにあるカーテンをあけて、空をみせてやる。

オニ(赤ちゃんのニックネーム)の顔がぱあっと明るくなって、笑顔になって、目がどこまでも大きくなって、つやつやと濡れて、光っている。

(中略)

オニは、自分がこんなふうにして空をみていたこと、なにかを感じていたこと、泣いたこと、笑ったこと、おっぱいを飲んでいたこと、私に抱かれていたこと、あべちゃんに抱かれていたこと、こんな毎日があったこと、瞬間があったことを、なにひとつ覚えてはいないだろう。なんにも、思い出せないだろう。でも、それでぜんぜんかまわないと思った。なぜならば、この毎日を、時間を、瞬間を、オニが空をみつめてこのような顔をしていたことを、わたしがぜんぶ覚えているからだった。そしておなじように、かつて赤んぼうだったわたしも、おそらくはこのようにして空をみていたときがあったのだ。空をみていたわたしの目を、いまのわたしとおなじように、みつめていた目があったのだ。

川上未映子 (2017)『きみは赤ちゃん』文藝春秋




ママへ
私を生んで、育ててくれてありがとう。


 

 

 

 

 



夫の誕生日もあったので、先週末は家でゆっくりランチしたり、夜は美味しいものを食べに行ったり、

 

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今週は連日友人に会えたり、産休ならではのゆったりした時間を過ごせています。明日から38週に突入です。

 

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妊娠35週目 「人生の縮図、あるいは社会の縮図」


私が出産を予定しているのは、様々な診療科を含む大きな総合病院の産科です。(超高齢出産のため、ハイリスク妊娠対応の産科でなくてはなりませぬ)なので、総合受付や総合待合、カフェスペース、売店は老若男女で毎日ごった返しています。

 

 

健診の日は、毎回少し早めに着くように行き、天気の良い日はお庭のベンチで一休みしたり、病院内のカフェでカフェインレスのソイラテを飲んだりしてから産科に向かいます。

 

当然このカフェにも、通院している患者さんやご家族、入院中の方など、本当にいろいろな方が来ます。今朝も早めについて一休みしていると、おそらく60代後半〜70代のご夫婦がとなりのテーブルに向かい合わせに座っていました。


旦那様

「今日はこの後上(の階)に行くの?」

 

奥様

「そうです。先週やった検査の結果を聞いて、お薬を出してもらいますよ」


旦那様

「検査はいつするの?」


奥様

「先週やったじゃないですか」


旦那様

「え?そうだったかな?忘れちゃったよ」

 


このやり取りが、延々と繰り返されます。

 

5回目くらいの「今日はこの後上(の階)に行くの?」で、奥様はお返事をしなくなりました。ご主人もしばらくだまるのですが、数分経つとまた同じ質問をします。


何回かスルーしてしばらくした後、奥様が小さなため息をついてから、また同じ会話を再開していました。


今日のこのお二人の状況が当てはまるかは分かりませんが、これくらいの段階だとご主人自身も混乱の最中だったりするかもしれません。急に時系列がわからなくなったり、今自分が何をしているかわからない、ということには気づいていたり。自分はおかしくなってしまったかも?という、本人的にも辛い段階が必ずあります。

 

我が家の身内にも起きたことで、見慣れた、聞き慣れた光景だったので、しばらくぼんやりと聞き入ってしまいました。

 


そうこうしていると、自分の予約時間が近づいてきたので産科のフロアへ。

 


産科は小児保健科と同じ待合のため、毎回1か月健診の赤ちゃんと親御さんも次々にやってきます。

 


病院のコットに寝かせられた本当に小さな小さな赤ちゃん。泣く声もふにふにといった感じでなんだか虫みたい。かわいくてついつい見入ってしまいます。

 

斜め前の長椅子に、赤ちゃんとママ、おばあちゃま、上のお子さん(幼稚園生くらいの女の子)の4人連れがいました。やはり赤ちゃんは小さくてふにふにと泣いています。ママやおばあちゃまはもちろん、近くにいる人みんなが赤ちゃんに夢中で見とれています。

 


そんな中、赤ちゃんのお姉ちゃまである女の子、終始大きな声で歌いながら待合スペースを走り回ったりスキップしたり、どんなにママが「静かにして」と言ってもやめません…。

 


女の子はママの注意を自分に引きつけておきたくて必死です。その姿がなんとも意地らしく、切なくて、私はなんだか気づかぬうちに涙が出てしまいました。

 


ただ、声のトーンや走るスピードが次第にエスカレートしていき、ママとおばあちゃまの両方が最終的にはピシャリと叱り、女の子はママの胸に抱きついてわんわんと泣いていました。


ママは彼女を膝に乗せて、しっかりと抱きしめていました。お母さんですもの、上の子の状況だってそりゃ全部分かっていますよね…。


一方で、お姉ちゃんになったこの女の子は、自分に沸き起こっている感情がなんなのか、まだ頭では理解できていないことでしょう。でも、今までと何かが決定的に違うことには気がついていて、とても不安で焦っているんだと思います。健気ですね。

 

 

 

今日の出来事。

何かオチがあるわけではありません。

ここに出てきた人、誰一人として悪くないですよね。みんな、自分の今を精一杯生きている。

 

 

病院って、なんだか人生や社会の縮図のように感じることがあります。

 

今日はそんな終わり方です。

 

35週目

いよいよ今週末からは臨月です。

 

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妊娠33週目  盛大な“子供がえり”か、はたまた、人生節目の“棚卸し”か

 

少し前から、幼い頃の家族間の記憶が、思い出す必要もない、忘れていたことまでなぜだかバンバン蘇ってきます。しかも、微笑ましい思い出“以外”限定で。悲しくなったり、時に嫌な気分になったり、答えが欲しかったり、あまり愉快な作業ではないんです…。

  

中学〜大学生時代からの友人なら、私がしょっちゅう銀座や玉川に母と食事や買い物に出かけたりしていたことや、私のファザコンぷりを見聞きしてきたはずだから、今更私がこんな風に、家族の歴史を振り返ってモヤモヤしているのは意外に思うかも。私自身もそんな感じで戸惑っています。

 

具体的にどんなことに関する記憶かといえば、おそらく両親自身も忘れているような、どの家庭にもある些細な夫婦喧嘩やすれ違いの「子供に隠しきれていない」空気感みたいなものだったり、あるいは、親戚関係の揉め事とか、祖父母の病気や死だったり、それらに遭遇してオロオロしている幼い私の心境です。

 

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家族内の空気に敏感で、何か違和感を感じると、おどけたり、おバカな末っ子を演じて場を和ませてきたような自覚があります。誰に頼まれたわけでもなく、一人で勝手に気がついて傷ついて、勝手に使命感を感じていただけ。空気を読んだ結果、空気を読まない子供を演じるわけです。

 

もしこのまま両親が仲直りできなかったらとか(そんなに喧嘩していたわけではないです^^; むしろ子供の前で言い合いしてたことも一度もありません。私が勝手に今なんかちょっと変だなって気がついていただけ)、親戚の誰彼がまた母に意地悪してきたらどうしようとか、不安になるたびにお風呂やベッドで家族に気づかれないように声を殺して泣いていたことまで思い出したりしています。

 

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なんていうか、当時の自分に駆け寄って、あなたがそんなにがんばらなくて大丈夫なんだよと言って抱きしめてあげたい。あなたが思っているほど大事件じゃないし、みんな大人だから自分たちでなんとかできるんだよって。笑

 

なんだろうこの気持ち。自己愛ともちょっと違うんだけども…。

  

ともかく、わざわざとうの昔に処理済みのあれこれを、今、自分の出産間際になってもう一度探しては拾いあつめに行っているみたいな…。しかも、今になって理由や答えを求めているあたりがタチが悪いのです。

 

ちなみに似たようなことは大人になってからも散々あったし、そっちも結構ややこしかったのですが(子供の頃のように“勝手に気がつく”と言うより、言いにくいことやデリケートなことに限って、私の所に愚痴や相談がくる➡︎結局言いにくいことは私が伝える羽目になる➡︎私自身とても疲弊する)まあ、私の役割だったのかなとも思うので、ここでは良しとします。

 

そしてこの期に及んで、全く私と性格の違うきょうだい、きっと私とは異なる風景を見て子供時代を過ごしたであろうことを、心底羨ましいと今更思ったりしているのです…。

 

なんだろう、この胸騒ぎ、無邪気な子供時代を取り戻したいような気持ち…。ともすると、親を責めたり問いただしたりしてしまいそうな、穏やかでない感情。

 

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分かってほしいのか

認めてほしいのか

誰かに謝ってほしいのか…

 

散々もやもやした結果、あ、これって単なる「甘え」、もしくは盛大な「子供がえり」なんじゃないかなぁ、と思い当たりました。

 

 

あまりにも、大人気ないっていう自覚があって、しばらく1人で悶々としていたんだけど、昨日、夫と近所にランチに出かけたので、食後のコーヒーを飲みながらぼちぼち話してみることにしました。ただし、ここで書いている内容より、もっと具体的で、もっとグジュグジュっとしたドス黒いところまで…。 

 

私(かくかくしかじか)

 「なんかこれって、最後の甘えって言うか、清算ていうか、子供がえり?なのかな。」

 

夫「うーん、そうやって、今のうち(出産前)に棚卸しして整理してるんだろうね。よくできてるね〜。^_^」

 

 

ほほう、そっかぁ…。

確かにね。

 

 

自分でも、出産前のこのタイミングに起きているってことは、この子供がえりは親になる準備なのかなぁとか薄々思ったりしてたけど、夫に言ってもらえて、なんかすとんと落ちてきました。

 

子供の頃を生々しく振り返ってモヤモヤするのは嫌なんだけど、まさに子を迎える前の棚卸し。追体験して、改めて気づかされたことは色々ありました。

 

・子供って、かなり幼い時から、色々気づくし、感じてる。大人をよく見てる。だから意外と誤魔化しはきかない。

 

・隠れて泣くような思いはさせたくないけど、親が知り得ない生まれ持った資質もあるし、そうやって子供なりに戦いながら成長する面もあるかもね。

 

・感じ方受け止め方はほんとその子による。だって同じ両親から生まれても、たいてい、きょうだいの性格ってバラバラだしね。

 

・感受性は生まれ持った部分が大きいから、敏感に察知してしまう子供の心境に、できれば気がついてあげたいなぁ…。でも矯正はしないで、見守ってあげたい。

 

上記は、子供時代を振り返って、“元子供”として思い当たること。親目線のことは分からない。だって、まだ親になってないから…。

 

夫「棚卸しして、ちゃんと豆(赤子のこと)用に心にスペースつくってるんだね。」

 

私「言われてみたらそうかもね〜。でも、このモヤモヤをどう処理すべきか悩むよ。全部両親にぶつけてみたい気もするけど、傷つけてしまいそうだとも思うし、出産したら今は知り得ない親の心境が芽生えて、意外にあっさりクリアになっちゃうかもしれないし」

 

夫「俺はそうなるんじゃないかと思うけどね。」

 

そうなの。親の目線になったら、モヤモヤをまた元の場所に収納できたりするかも知れない。だといいなぁと思う。だって言うまでもなく、子供として43年やってきて、両親には感謝の方が圧倒的に大きいもの。だからこそ、この負の感情が、ちょっと苦しいんです。こんなこと、私以外にも起きてる妊婦さんいるんでしょうかね。

 

そしてもちろん私だけじゃなくて、誰しもが子供なりに小さな体と未熟な心で、その時々を目一杯生きてきて、傷や痛みと上手に付き合いながら大人になってきたわけですからね、何も特別なことではないのでしょう。ただ私の場合、なぜか出産前の今、走馬灯のようにそれが押し寄せていて、苛立っているという…。笑

 

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そして、薄々気がついている方もいらっしゃるかもしれませんが、完全に過去にひっぱられてるわけですから、この一連の流れって、全然ヨガ的【今・ここ】マインドではないですね。笑 ようやく現在に戻ってこられた気がします。

 

2人の真ん中くらいの感じの子になるといいねー、と夫は言っていますが、うーん、私は夫寄りの、大らかで強く優しい感じに寄って欲しいです。^^

 

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~我々は時々自分を追い込み過ぎる、頭でっかちな生き物 ~ ヨガと私 その1

必要以上に自分を責めてしまうことって、誰にでも経験がある、もしくはこれから経験する可能性のあることだと思います。そして、このことは、私がヨガをすること、指導することをライフワークにしようと思っている理由(2つあり)の1つでもあります。2つ目はまた別の機会に。

 

自殺量産国とよばれる国、日本

日本は先進国の中でも自殺率が高いことは良く知られています。中でも、未成年の自殺が増え続けていて、『「若年自殺者」を量産し続けている絶望の国』という悲しい記事も見かけました。本当に悲しい。

 

ニューズウィークの記事には、こんなことが書いてありました。

 

「子どもの自殺の心理として、『苦しみが永遠に続くという思い込み』『心理的視野狭窄(自殺以外の解決手段が浮かばなくなる)』というものがある(文科省『教師が知っておきたい子どもの自殺予防マニュアル』2009年)。こうした認知の歪みを是正する必要がある。」

 

嗚呼、その感じ…。

自分はしくじってしまった。修正はきかないにちがいない。期待に応えられなかった、という悶々とした自己嫌悪と、そこからの這い上がり方が分からない絶望感。それが延々と続く毎日。誰にも言えずにどんどん膿んでしまい、元の悩みがもはや何だかわからなくなってしまうようなドロッとした暗闇。それが毎日続くと、今度は気分が少し晴れそうになると、そのことに罪悪感さえ覚えてしまったり。そんな悪循環、私にも経験があります。

 

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数年前、実家にて(内容とは無関係です^^1)

 

 

小さな守られた世界しか知らない苦しみもある

19歳くらいの時だと思います。女子大の付属に中学受験で入り、高校・大学とエスカレーター式に上がりましたが、大学は都内なので、進学と同時に一人暮らしを始めて数か月が過ぎたころのことです。私の場合は、今思えば遅れてきた思春期のようなものでした。はじめは些細なつまずき、そこから思考が急速に空回りを始め、どんどん自分を追い込み始めてしまいます。

 

  • がんばってもがんばらなくても、誰も自分を褒めてくれないから、やる気が出ない

(↑当たり前、自分のための勉強だからね。でもぶっちゃけ当時はこの状況でした)

  • 「あれ?人から評価されるためだけに、今まで生きてきたの?私って最悪だ…。」
  • 私なんのためにここ(大学)にきたのだろう
  • っていうことは、好きな事、得意な事なんてそもそも自分には何もないのでは?
  • 結局、何も自分で選んだことがない、全部準備されていたんだ…
  • 今更どこからやりなおせば良いんだろう
  • 親は、こんな出来損ないの私を知ったらがっかりするにちがいない、申し訳ない

 

みたいな不毛な妄想、自己嫌悪の無限ループ地獄です。笑

大人になった今振り返れば、どれも本当にどうってことのない些細な、贅沢とも言える悩み事。ハッキリ言って、生活があって、すべき役割があれば、こんなことを考える暇ないですからね。

 

でも、社会経験のない児童や未成年は、大人が想像している以上に、小さな小さな世界で生きています。確かに許されているけど、それ以外を知らないし、まだ価値観も中途半端。物事の判断基準だって、自分なりのものは完成されていません。

 

だから、周りとの同調が安心感につながるし、人の目や大人の評価が自分の価値だと思い込んでしまいがちです。自分が所属しているグループやコミュニティーの規則からはみ出してしまったら、もう自分は落ちこぼれなんだと思い込んでしまう。少なくとも私はそうだったし、そこから抜け出すのが結構大変だった。学生時代のことで、無駄に時間だけはたっぷりあったし…。

 

何が辛いかは人それぞれ、自分の物差しで決めつけるのはナンセンス

でも、実際は外の世界の方が断然広く、いろんな選択肢や価値観で溢れています。広い世界のほんの小さなスペースでつまずいただけなのに、その“小ささ”を知らないんです。モラトリアムの中にある子供や未成年にしか分かりえない閉塞感。そこから出ちゃえば全然大丈夫なのにね。だから、大人はそういう時に、可能性や広がりのヒントを与えてあげなきゃと思う。

 

ただし、決してその子(その人)が悩み苦しんでいることを、馬鹿にしたり、贅沢な悩みだなんて言って笑ったりしてはいけない、と私は思う。大人同士でもそう。成長過程や価値観が人それぞれということは、耐性だって人それぞれ。Aさんにとっては蚊に刺されたようなことでも、Bさんにとっては命に関わるほど辛いことかも知れない。耐性の違いでもあり、物差しの違いでもあるから、誰もそんなこと比較したり責める権利はない。特に事態が深刻な場合は。

 

それと、失敗や挫折を知らない怖さ、というのもあります。例えば、私の場合は大学生活と重なったわけですけど、これが社会人デビュー後に起こったら?本来は失敗したら、その理由を反省して、迷惑をかけた先にお詫びをして、リカバリーすれば良いこと。でも、失敗したことがない人が、急に否定されたり叱られたりしたら、ショックが大きすぎて、リカバリーにまわる前に、もう自分の部屋から怖くて出られなくなってしまうかも…。そうやって、実際出られなくなってしまった人たちが、世の中にはたくさんいると思います。

 

ちょっとしたボタンの掛け違いで、誰にだって起こりうる

そんなふうに書くと、甘やかされた人だけが、鬱や引きこもりになるように聞こえてしまうかもしれないけど、そうとは限らないし、そういう人たちを責めたところで意味はないんですね。それと、ここまでは子供や未成年に起こることとして書いてきましたが、大人だっていつそうなるかわかりません。ちょっと心が弱っているときに、不運や不幸が重なってコロコロと滑り落ちて這い上がるのが難しくなることだってあると思います。

 

大事なのは、できればそうならないこと、なってしまったらそこからなんとかして本人が抜け出すことだと思います。

 

<暗闇でとどまらないために>

人が成長していく過程で本当に大切なのは、失敗しないことじゃなくて、失敗した時にやり直せる智慧と体力を学んでいくことだと思うんです。

 

<暗闇から出られなくなってしまったら>

まずは、プロや家族の手を借りて外に出るきっかけをつかむこと。(「外に出る」っていうのは、文字どおりこもっている場所から外へ出るっていう場合もあれば、心を閉ざし続けている状態から少し先へ進むっていう意味でもあります。)

次の段階は、自分を受け入れる練習をしていくこと。そのためには、少しだけ何かを変える必要もあるかもしれない。自己受容の練習として、呼吸法やヨガが有効です。

 

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「今ここ」を見つめることは、自分を知ること、受け入れること

受け入れる=積極的な肯定、と捉えるとその人の状況によっては難しいかも。(私はヨガ教師で臨床心理士や医師ではないので、心身のトラブルについて専門外なことを言うつもりはありませんし、言えません。)でも、急に自分を肯定できなくても、まずは、今自分がこの場所にいること、あるがままの自分をジャッジせずに眺める練習をはじめることはそんなにハードルが高くないです。過去のことや未来の不安を手放す練習にもなります。これに、瞑想やヨガが役に立つし、ヨガ教師やスタジオはその空間を提供することができます。下記のことからやってみるとよいかも。

  

   こんなふうに、「気が付くこと」をはじめよう

  • (呼吸)今、息を吸って吐いていることに集中。体のどの部分で、どんなことが起きている?
  • (ヨガ)自分の体を呼吸に合わせて動かしてみる、その様子をただ注意深くひたすら見つめて、体の中で起こっていることに気が付いていく練習。ジャッジや判断はしない。「右と左で伸び方に差があるなあ」「昨日より胸が開いて気持ちいい」「指先がじんわりする」といった感じでいきましょう。

 

「ヨーガ チッタ ブリッティ ニローダハ」 ヨガとは心の動きを滅却すること

多くの闇も病みも、心の暴走が原因の1つなんじゃないかなって思います。例えば、普段から上記のような習慣があったら、暴走を前もって抑えられるかも知れないって思うんです。心が暴れだしたり、自分を責め始めたり、どんどんストーリーを作り出す前に、「今ここ」に戻ってこられたら…。

 

ヨガ(クリパルヨガ)と出会って、この感覚に気が付いた時に、「あの時、19歳の私にこの習慣があればなぁ」とちょっと思ったりしました。あんなに暴走しなくてすんだかも。笑 それも全部ひっくるめての私なんで、後悔はないですけどね。

 

 

巡ってきた波にただ乗る、という自然な生き方が必要な時もある

あるとき、私のヨガの流派=クリパルヨガの先生である三浦敏郎さんが、ティーチャートレーニングの最中にこんなことを言っていました。

 

「みんな、最近人生を力ずくでコントロールしようとし過ぎなんじゃないかな。時にそれは傲慢ということもあるよ。与えられた人生、巡ってきた波に乗ること、受け入れることも大切」

 

決して「受け身で生きていきましょう」ということではなく、人として謙虚であることの大切さや、私たちも自然の一部であるということ。力ずくで思い通りに人生をコントロールしようと躍起にならなくても、もっと自然で大らかな気持ちで、時には大きなものにゆだねてみても良いかもしれないですよね。

 

 

長く重めな独り言のまとめ

だらだらと例のごとく、長くなってしまいました。わかった風な論調ですけど、もちろん私だって上記のようにいつも心穏やかにやれているわけじゃありません。むしろ、超それができないタイプだからこそ必要性を実感しているし、意識的に実践していると言えます。あと、過剰な妄想で必要以上に自分を追い込んだ経験があるということ、単にそれだけですが、もう二度と繰り返したくないし、他の人にもしてほしくないなぁと思います。それが、ヨガをする理由であり、クリパルヨガの指導者であり続けたいという理由です。

  

理屈っぽくなっちゃったけど、クリパルヨガのクラス自体は(出てみればわかりますが)、どの先生のクラスも内容はとてもシンプル。ただ、ひとりひとりが、人と比較することなくひたすら集中できるように教師が計算して内容を構成しています。とっても気持ちが良いし、スッキリしますよ。

 

私は身重なため、しばらく指導はお休みとなってしまいますが、いつか、偶然にもこの長ったらしいブログを最後まで読んでくださったあなたとも、一緒にヨガができたら嬉しいです。または、ぜひ下北のクリパルジャパンで素晴らしい諸先生方のクラスを受けてください。今の自分を「客観的にただ見るだけの時間」は、意外とそのことで手放せることもあるし、気持ちがすっきり落ち着いたりするものです。

 

 

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