あおいろ自由帳

ライター / ヨガ教師 中村亜津美(あずみ)

公開し忘れ→かなりのディレイ投稿→生後6ヶ月 夏の夜のひとり歩き

(久しぶりにブログでも書こうかな、と思ったら2ヶ月前に書いて保存したままの原稿を発見。せっかくなので公開します。ちなみに現在息子は生後8ヶ月です。もうすぐ9ヶ月。)

 

6月で生後半年を迎えた息子。大きなトラブルもなく、すくすくと順調に育っている。表情はますます豊かになり、遅めだったのでちょっとだけ心配していた寝返りもできるようになったし、離乳食もスタートしてから早くも1ヶ月が経過した。こちらを見つめながらトロトロしたものを食べている姿に、高齢父母のハートはつかまれっぱなしだ。

 

日曜の夜。久しぶりにアロママッサージを受けに行く。最近疲れ気味な私を心配して夫がすすめてくれたので、自宅から歩いて15分のサロンに90分のコースで予約を入れた。20時からの予約だったので、19時40分くらいに家を出る。もちろん、それまでには夕食作り、息子のお風呂から寝かしつけまで全て夫と二人で済ませ、万全の状態で。

 

「じゃあ行ってくるね」6月の終わり、梅雨の最中の夜にしては心地の良い風が肌を撫でる。夜風に吹かれながら、なんだか心がソワソワする。なぜだ、なんだこの感じは。行き交う車のヘッドライトや街頭、信号機がキラキラと夜の空気に揺れていて、なんだか近所が美しいような気がする。

 

あれだ、つまり、旅情に似ている、この気持ち。しかも一人旅の旅情。

 

2013年の初夏、一人でフランスを旅した。海外への一人旅は20代でハマって何回も通ったサンフランシスコ以来。メインの目的はフランス人のパートナーと結婚することになった友人の、まさにその結婚式に参加するためだったが、それ以外の時間は一人でパリの街を散策したり、ショッピングしたり、美術館に行ったりして過ごした。確か最後の日になって、「あ、夜のパリを歩きたいな」と思い、地下鉄で移動しながらシャンゼリゼ通りを歩いたり、エッフェル塔がチカチカするのを間近で眺めたりした。夜のパリは美しかった。なんていうか、引き締まった感じ。胸がきゅっと締め付けられるような感じに「あ、きた、旅情」などと思ってため息まじりに黙々と美しい街を歩いたり、立ち止まったりした。

 

歩きながら、旅情の正体について考えを巡らせていたのを覚えている。こう思った。旅は非日常のようでいて、実は日常のちょっとだけ外側にある。て言うか、思い切った現実逃避よりも、それくらいの心持ちの旅が好きだ。一番旅情が迫ってくる。日常の少しだけ外側だからこそ「ひとり」を感じられる。住んだことのない街、世界中から集まる旅人(家族連れやバッグパッカー、恋人たち)の中にポツンといる自分。目の前の信じられないほど美しい街並みとも、明日にはお別れだ。日常に戻るために。

儚い一瞬の出来事。だから美しく、切なく、名残惜しい。日常あってこその輝きだ。

断然そう思うし、断然その感じが尊い。旅情。

 

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その旅情を今夜感じた。家から15分のマッサージ屋までの道中で。それもそのはず、一人で夜の街を歩くのなんて最後がいつだったかさえ思い出せない。少なくとも、妊娠中は一度もないので1年以上は確実に経っているはず。とすれば、最後に一人で夜の街を歩いた時と今では、生活のすべてが変わっている。旅情を感じてしまうわけだ。今、家から数分の近所で、私は日常の少し外側を歩いているんだ。息子のいない、夫のいない時間。

やがてそこに帰ることは決まっている、その感じが旅情っぽい。

もう海外への一人旅はこの先できないかもしれないけど、こんな旅情も、なかなかどうして、悪くない。