準備できることは、何もないかもしれないけど
年末年始にかけて、少しゆっくりできたのでこちらを読みました。
ジョーン・ディディオンはアメリカの作家で、60年代のカウンタ
『悲しみにある者』は、彼女が最愛の夫を亡くしてからの一年を、
誰かを感動させようとか、
彼女が夫を突然亡くしたその日は、
この本の中で、何度も
「それは夕食の席でもやってくるではないか」
というような言葉でジョーンが表現しているように、
そして、必ず誰にでも、いつかはやってくる。
証言のような言葉の数々に触れていても尚、その痛み、
どんなに準備をしようとも、覚悟を決めようとも、
40代に入り、自分の両親も70代を迎え、
どんな一日も、二度とない一日。だからこそ、今日、いま、ここをより大切に感じるようになってきました。
歳を重ねて、
お肌が何度も曲がり角を迎えて忙しいとか、
何もしてないとお肉が知らぬ間にまとわりつくとか、
切ないことはあるにはあるけど、
それでも、あちこちぶつかりながら経験を重ねて、
面倒な自我肥大のタームも終え、
シンプルに今を大切にできるようになってきたことは幸せなことだと思っていま
ヨガの哲学にサントーシャというものがあります。
日本語で言えば、「足るを知る」。
欠けているものを探すのではなく、
今自分の中にあるもので充分満たされていることに気づいていく、
そう簡単に、毎日この状態でいられかと言うと、
→まだ起こってもないことを勝手に心配する、
というサイクルからは解放されつつあるのかな、と最近感じます。
今、ここ、を味わうこと。
大切にすること。
人生一回ですから。
大きな悲しみに備えることはできなさそうですし。
そういえば、インスタでジョーン・ディディオンの#を見ていたら
ジョーン・ディディオン、若い頃も老いてからも、
アイコニックだなぁ、
私のファースト・ディディオンはこの『悲しにみある者』なので、これから遡って『ベツレヘムに向け、身を屈めて』
大きく社会・価値観がうねっている時代の記録って、とてもそそられるのです。
(ちなみに絶版なのか、